[発行日:2009.09.30] vol.59 自社の歴史に学ぶ 自然の恵み、共存の森 関東の活動紹介

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┃     ┃ 株式会社トンボ 環境事業企画室
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★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 発行日:2009.9.30 ━★


こんにちは、トンボ環境事業企画室の小桐です。
今年の9月は台風が一度も上陸しませんでした、これは、昨年につづいて
2年連続のことなのですが、2年続いて上陸しなかったのは、観測史上初
めての出来事だそうです。気候変動の兆候ということでしょうか。
その分、水不足がこれから心配されます。植物、動物共に影響が出て来る
のでは、ないでしょうか。地球上にある水を1リットルにたとえれば、利
用可能な水はほんの1滴それを人間や他の生物が分け合って暮らしていま
す。水はいのちの源。日々お世話になる水に感謝して生活したいものです。



   もくじ【1】昔のくらしから未来を考える 
         共存の森 関東の活動紹介 
   

      【2】自社の歴史に学ぶ 自然の恵み
            藍染体験報告 
                  
      


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        【1】昔のくらしから未来を考える 
           共存の森 関東の活動紹介
          
  
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< 森の聞き書き甲子園と共存の森活動について >
弊社が支援する森の聞き書き甲子園事業は今年で8年目を迎えました。
日本の豊な森、里の資源を活用し、伝統的な生仕事を続けてきた名人を高
校生100人が訪ね、その仕事、人生をレポートし、名人の言葉をそのま
まアーカイブとして残す事業です。
   http://www.foxfire-japan.com/

名人を取材した高校生達は、皆驚きと感動を体験します。消え行く日本の
伝統的仕事をなんとかしたい、森を守りたいとはじめた共存の森活動。
   http://www.kyouzon.org/index.html

今では、全国で5箇所と増えました。これまでにも何回か紹介している共
存の森活動。今回は、関東地区 千葉県市原市 鶴舞で9月26,27に
行なわれた活動をご紹介します。

< 新メンバーが参加した 共存の森・関東の活動 >
森の聞き書き甲子園のOB・OGが中心となってはじめた共存の森活動に新し
い仲間が加わりました。今年の森の聞き書き甲子園に応募をして、8月中
旬に研修を受けた高校生たちです。本番の名人の取材はこれからですが、
早く森の中で活動をしたいと参加しました。

5年目を迎える共存の森関東の活動は、地元山小川地区の地元の方々を地
域の名人として、農業を体験させていただいたり、炭焼きを学んだり、鶴
舞創造の森での里山管理などを行なっています。

< 2日間の活動メニュー >
今回の日程は、初日に地元の竹篭職人、茅葺職人、大工そしておかあさん
達の仕事や暮らしぶりについて昭和30年代に戻って聞き書きをしました。
2日目は鶴舞創造の森の下草刈り作業です。

< 真剣に聞き書きをする >
今回は4つのグループに分かれて聞き書きをしました。レコーダーを持ち
ペンを取る様子に地元のご婦人達はびっくり、自分たちの昔の話が文章に
なり、残るという事が大変嬉しく、誇らしく感じられた様子です。

< 昔の暮らしについて >
衣、食、エネルギー、地域コミュニケーションについて話を聞きました。
呉服屋で絣などの布を買って自分で野良着、モンペなどを作った。小柄は
年配の人、大柄は若い人が来た。TVはないがラジオはあった。ランプとロ
ウソクの灯りで生活していた期間もあった。昭和40年代に電気洗濯機に
なり、洗濯板がいらなくなったなどの話を伺いました。当時の伊予絣の残
り布があり見せていただきました。今では貴重な資料です。

< 食べ物について >
一番のご馳走は太巻き寿司だった。かんぴょう、卵、米は自前だったが
海産物は貴重だった。魚を藁で巻いて「すとっこ」という干し魚を作った。
塩干ものを食べた。塩は俵1俵買って、にがりもできたので豆腐などは自
分で作った。豆造(千葉県の市原中心としたたべもので豆の茹で汁に麹を
足したもの。)なども食べた。野菜は当然今でも自前で作っている。


< 地域コミュニケーション >
婦人会など女性を中心としたいくつかの会合があった。中でも一番楽しみ
だったのは「子安講」。山小川地区に5つあり、組ごとに毎月1回家々を回
って実施した。子供つれていって楽しみだった。昼間に行なった。その他
に庚申講(ごしんこう)(農村で行なわれた道教系の会合。太陽や月に対
する崇拝が源、農村の日常生活や農作業の相談の場ともなっていた。)
などもあったと当時使われていた掛け軸も見せていただきました。


< 手動 農機具を体験 >
話を聞き終わったあとは、昔使っていた人力で動かす、むしろ作りのため
の縄づくり機や脱穀機、唐箕 などを動かして体験しました。手と足を両
方動かしながら縄づくり機は結構難しかったようです。

< 森の手入れをする >
2日目は、千葉県市原市の鶴舞創造の森で、前日下見をした場所で下草刈を
行いました。先輩たちが5年前に植樹した場所やそこにたどり着くまでの
道、復活させようとしている炭焼き窯の周辺などです。グリーンセイバー
という大人のサポーターに鎌の使い方をならい、一生懸命に草を刈りまし
た。大変だったけどおもしろかったとの感想でした。

作業の後は道具の手入れ。鎌の歯の研ぎ方を教わり自分達で行います。森
では、整理、整頓、清掃などは当たり前に行なわないと次の活動に支障を
きたす事が即体感できます。

最後にこの森の実生から育てたコナラの苗を草刈した後に植樹しました。
地元の方々に指導してもらって、森からお土産を沢山いただきました。 
栗や自然薯やあけび、おまけにマムシ(地元の方がまむし酒にされます)
まで。3人の高校生の初体験はとても貴重な体験になりました。

2日間の活動の様子はこちらからどうぞ

共存の森の活動紹介
http://www2.tombow.gr.jp/merumaga/save_lnk/5-20090930183147-1_1.pdf




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        【2】自社の歴史に学ぶ 自然の恵み
              藍染体験報告   

  
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弊社の玉野工場の一角には、日本で唯一つのユニフォーム博物館と会社の
歴史資料館で愛称「八正館」という施設があります。
ユニフォーム博物館では、奈良飛鳥時代に始まる日本の学生服の歴史を展
示しています。残念ながら古い時代の制服は復刻版です。
  http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/index.html

一方歴史資料館では明治9年の創業からの数々の資料や服を展示しています。
  http://www.tombow.gr.jp/hasshoukan/index.html

< 日本のかつての暮らし >
明治以前は、まさに自然の素材のみを使った生活であり、国内で摂れるも
のだけを使って生活が営まれていました。
明治になり、日本にも産業革命という形の工業化がはじまりますが、それ
でも昭和30年代までは一般の人の生活はエネルギーが自然から得る薪、
炭等であり、環境に負荷の少ない生活を送っていたといえます。

社会科の見学や衣服の歴史等を見学に来られるお客様に日本人の昔の生活を
お伝えすることで、これからの環境、制服、暮らしについて考えていただこ
うと日本の衣料を中心とした資料集めを行なっています。

これは、暮らしや文化が生物多様性、地域の環境に関わっていることを知る
きっかけにもなりそうです。

< 足袋の生産について >
足袋の製造で始まった弊社ですが、その足袋の原料はどのようにして調達さ
れたのかを調査してみました。
江戸中期に全国的に広がった綿花栽培は瀬戸内では特に生産量が多く、自家
消費以外にも地域の特産物として多く販売されました。白い綿花はそのまま
白足袋になったようですが、黒足袋はいかにしてその生地が作られたかを調
べてみました。 なぜ黒足袋かそれは、その黒い生地を使って学生服を作っ
たからです。

< 黒の染色方法 >
天然素材を使った黒の染色方法にはいくつかあり、奈良・飛鳥時代にはヤシ
ャブシ(矢車附子)というカバノキの果穂を使って染めたようです。これ
は、主に絹に用いられたようです。(江戸時代のお歯黒にも使われていま
した)また、700年(大化の改新)のころは、「どんぐり」のかさを煮
た汁で染めていたという記述もあります。

ただ、黒を濃くそめるには、不十分だったようです。江戸時代の紋付を始
め濃い黒の染色は、「藍」と「どんぐり」で染めていたようです。
藍とどんぐりで繰り返し染めた布は丈夫になって刀の刃をも通さないほど
強くなったといいます。殺菌作用もあり、紋付が黒いのはこの当たりの理
由もあるようです。

藍染めという言葉は今でもよく耳にします。インディゴといったほうが若
い方にはなじみが深いかもしれません。ジーンズのインディゴブルーとは
まさに藍染めの「青」のことなのです。                

< 藍染について >
「藍」という植物の葉を発酵させ、「すくも」という染料の元を作り、灰
汁でアルカリにして染めていたといいます。化学染料が発達するまでの長
い間、藍は各地で栽培されていました。

岡山では1750年頃から綿花の栽培が始まったとありますが、藍も植え
られていました。この藍は2世紀頃に中国から日本へ持ち込まれ、染色の
原料として広がるのは、大化の改新の頃のようです。

< 藍染体験 >
8月初旬に藍の生葉染めを体験しました。     

5月植えた藍の葉は8月になると十分に育ちます。葉を細かくちぎり、水
を入れてミキサーで攪拌すると緑の濃い汁がでます、それを布で濾すと染
色液の出来上がり。30分強で染まります。うっかり手につこうものなら
手がインディゴブルーに染色されてしまいます。すぐに石鹸で洗わないと
1週間くらいは落ちません。

今回は絹の布の染色だったので比較的短時間で染まりましたが、綿の場合
は灰をいれて強アルカリの液で染めるとのこと。4回ほど染めると濃くな
るそうです。

創業の頃の染色は結構手間のいる作業であったと感じた染色体験でした。 
綿花があり、藍があり、栗そして燃料としての薪や炭があって始めて成り
立った瀬戸内海の足袋づくり、持続可能な工業生産のスタイルであったの
だと感じます。

歴史を知ることは未来を考える事につながる と言った方がいらっしゃい
ました。大河ドラマの人気もこの辺りにあるのかもしれません。
来年は八正館で、綿花と藍をご覧いただけるように研究中です。

藍染体験
http://www2.tombow.gr.jp/merumaga/save_lnk/5-20090930183147-2_1.pdf


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